「能」とのコラボレーション
平成22年2月7日 横浜能楽堂第二舞台
「能楽よろぼし」
ワキ (高安通俊) 高安流小林務 太鼓 高安流高野彰
「高安悠画会作品の屏風絵」を背景に演ず
―高安の四季―
高安悠画会 主宰 大槻 洋子
高安の山懐に抱かれた里山では自然の移ろいを、山の変化、小鳥のさえずり、虫の音で知らされる。太陽の色、風の流れ、雲の形が山の変化を演出し、里山の生活は四季折々の豊かな自然に育まれ、移ろい、同化する。
そんな四季を紹介します。
そろそろ冬の寒さに飽いてきて、暖かさが恋しくなる頃、高安山の変化に胸躍らせる。
新芽の準備が調ったのか、うす赤紫がかってくる木々。
それらは落葉樹。
山いっぱいに広がってゆく暖かく柔らかな表情は、まるでうす赤紫の綿菓子
が集まっているよう。
そして、そのうす赤紫の中から次々と、白、ピンク、黄、赤といった花々が顔を覗かせる。
里から始まった桜の白ピンクは頂上を目指し、山頂あたりの水呑み地蔵で力強く咲き誇る。
ふと足元にも目をやれば、菜の花の黄色のじゅうたん。
スポットライトを当てるように陽は益々明るく暖かく輝き、同時にくっきりとした影もつくる。
こうした、確かな色のハーモニーの多様さに包まれ圧倒され、春は過ぎてゆく。
「時を越えた伊勢物語の頃、高安通いをしていた在原業平も、このような光景を楽しんでいたのだろうか・・・。」そんな思いを馳せながら・・。
里人が夏野菜を育てる準備に忙しく、生き生きと動き出す頃、淡い黄緑へと変化していた高安山の表情も、緑だけの装いに様変わり。
牛蛙が我が物顔で鎮座する田んぼでは、実りの準備も調って、緑は益々濃さを増してゆく。
溢れんばかりの生命力がみなぎる新緑。
我一番と競うように歌合戦を繰り広げる小さな虫達の声は、暑い空気を振るわせる。
飾り気のない初夏の夜、蛍のほの赤いやさしい光は、子どもたちの歓声と共に、静かな不思議の世界へといざなう。
夏のエネルギーの爆発は、なんといっても高安祭り。
ドンデンドン、ドンデンドンデンドン。チョーサージャ、ヨイヤ、サージェの音で始まる。
あちらこちらから聞こえる布団太鼓の音は、里人の心を、そわそわうきうき掻き立て、一つにさせる。
たくましい若者達に担がれた布団太鼓。
右に左に揺れながら、激しく飛び跳ね踊りまくる。
布団太鼓を先頭に、大勢が声高らかに話し、笑い、はやし立て、笛の音と共に大蛇のようなうねりと化す。
蛸で酒を酌み交わし、生節の押し寿司に舌鼓をうち、楽しみ感動しながら二日間を燃焼する。
そんな里の大騒ぎを見守るように、高安山は、益々深く濃い緑になって、肌には夏の暑さがへばりつく。
「暑い、全くもって、暑い。」
うだるような暑さの中、短い命を惜しむように、蝉のコーラスが響き渡る。
照りつく太陽が刺すように痛く、外には人っ子ひとりいない。
束の間の夜の涼は、一瞬の華やかさで夜空を包む花火を楽しむ時間。
肌に感じる微かな涼を意識し始める頃、夏の暑さと別れる気配に安堵する。
朝夕さらに涼味が増してくると、木々は早くも様相を変え始める。
桜の葉っぱが、緑と紫の混じった複雑な色に。すぐ訪れる美しい季節を予感させる。
空気が澄みわたって来る頃、紅葉の一番のりは、はぜの真っ赤とななかまどのオレンジ。
そして桜。
次に柿。
静かに広がってゆく。
あちらこちらで見られるのは、黄金の実りと真っ赤な彼岸花のみごとなコントラスト。
秋の大御所もみじも加わり、豪華な秋を演出する。
もみじの葉を通った光は朱色に変わり、バーミリオンの透明感ある朱色と競演する。
中でも一際目を引くのは黄金に輝く扇の舞い、イチョウ。
山の黄葉は、頂上から始まり、ふもとまでアッという間に広がってゆく。
散りゆく運命への抵抗か。どの木も華やかに自己主張。
すべての色が揃う高安山は、まるでうまく織り上がった能装束。
雲ひとつない真っ青な空の下、衣装をまとった山は、陽の光に照らされ豪華絢爛(けんらん)。
ところが、それも一時のこと。
寒さを運ぶ雨がやってくる度、冬を知らせる強い風邪が吹く度、紅葉で賑やかだった山の色は一つ、また一つと消えてゆく。
全てを真っ赤に染める秋の夕日が、ススキの穂を金色に輝かせながら…。
やがて山は寂しくブルーがかった紫になり、静寂を運んでくる。
山の枯れ木の間から登る白い大きな満月は、凛とした神々しさで溢れ、静かな夜は益々冴え渡る。
気まぐれな天気とともに変化する冬の高安山は、実に上品で奥深い。
ブルーの濃淡に覆われた山。
目が錯覚を起こしたのか、山が遠のくようで驚く時もある。
山が霧で覆われると、まるで水墨画のような美しさ。
うっすらと雪が積もった山は、山頂に近づく程白くなる。
山麓(さんろく)では、黒い幹がごま塩のよう。
山に雪が残ると、里の空気が肌を刺し「ちみたい」という言葉がぴったりの寒さに。
「寒い。おお、寒い。」雪が降る中、長い冬をじっと耐える。